12月例会について

11月29日に、少し早かったのですが12月例会を行いました。
当日は、辰田芳雄さんが「勝仁親王主催文明17年9月9日着到和歌の研究」と題して、報告をしてくれました。せっかくの例会でしたが、参加者は4名という少し寂しいものでした。

辰田さんは、着到和歌(一人が上下の句をうたい、百日分すべて参加してつくられる)に載せられた歌を調べることによって、表題のものについては、親王や女性によって歌われたことが明記されており、どのような歌を歌っていたのかを明らかにしていきました。通常、女性たちは記名がないため、誰が詠んだのかわからないそうです。

文化の一端である和歌の世界かも知れませんが、丹念に調べていくことによって、文化から政治の動向を見ることができることを報告してくださいました。また、この分析の過程を高校での総合的な学習の時間で紹介し、「教師自身が調べて感動したことを生徒に伝えていくことの大切さ」があったということも教えてもらいました。

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参加者は少なかったのですが、それぞれの観点から辰田さんの報告をもとに話題が広まっていき、活発な話し合いを行うことができました。お忙しい中報告してくださった辰田さん、ありがとうございました。

今年はこれで例会は終了になります。
次回は、1月18日(日)13時半から、岡山県立博物館で開催予定の「戦国大名 宇喜多氏と長宗我部氏」の展示見学と、石谷家文書の紹介を行うことにいたします。詳細については、年明けに再度お知らせいたします。
なお、総会もその時に行いますので、ふるってご参加ください。

2014年10月例会報告

 10月18日に行われた10月例会では、大阪大学大学院文学研究科M2の蒲谷和敏さんが「第一次世界大戦期の社会変容と水道―兵庫県尼崎市の水道布設をてがかりに―」と題して、報告してくれました。

 本報告は、今年度提出する修士論文に向けての準備報告ともなりました。第一次世界大戦前後に急速な工業化を遂げた尼崎地域を対象に、上水道がどのように整備され、その際にどのような問題や矛盾が生じてきたのかに注目することで、「新興工業都市」の特徴を浮かび上がらせようとしたものでした。

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 質疑応答では、水道布設に関わる地域住民・行政・工場など諸主体の相互関係、内務省の水道政策の特徴、当該期の社会変容の内実、水道問題の固有性、尼崎の事例と先行研究との関連など、論点は多岐に亘りました。

 蒲谷さんからは、自身の問題関心や尼崎地域を取り上げる意義も含めた積極的な応答があり、参加者はやや少なめでしたが、議論は盛り上がりました。
修士論文提出後には、いずれ学術雑誌に発表されてくれるものと期待します。
蒲谷さん、どうもありがとうございました。
 

 今回は、久野洋さんが会の様子を紹介してくれました。ありがとうございました。

 次回例会は、11月29日を予定しています。詳細は、掲示板に出しますので、そちらをご確認ください。
 例会報告を希望される方は、ぜひご一報ください。お待ちしています。2

2014年9月例会報告

幕府領陣屋元村の掛屋と陣屋・地域社会と題して、備中国窪屋郡倉敷村を取り上げ報告してくださいました。

山本さんは、以前から倉敷村にあった代官陣屋を中心に研究をされており、2010年には清文堂から『近世幕府領支配と地域社会構造』を刊行されています。
今回は、代官陣屋の掛屋をしていた水沢家や大橋家のことを取り上げられていました。いずれも19世紀後半に活躍した豪商ですが、山本さんによると金融業を生業としていた大橋家は、そのノウハウを活かしていたのではないかと指摘されていました。また、公金の管理という役割は、大橋家自身の格式を上昇させていくことにも繋がっただろう等、興味深いお話を聞かせてくださいました。

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質疑応答では、掛屋の実態や活動内容、大橋家当主のパーソナリティ、倉敷村内部の重層構造等が話題となりました。

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次回は、下記の要領で行います。ふるってご参加ください。
日時:10月18日(土)13:30~
場所:岡山大学総合研究等2階演習室(5)
報告者:蒲谷和敏さん(大阪大学大学院博士前期課程2年)
題目:「第一次大戦期の社会変容と水道ー尼崎における水道布設を手がかりにー」

2014年7月例会

7月5日午後、岡山大学文学部で7月例会を行いました。今回は、スペシャル企画として、『歴史学研究』の特集「史料の力、歴史家を囲む磁場-史料読解の認識構造」の合評会を行いました。当日は、37人もの参加者が集まってくださいました。

企画者の久野さんは、地域の資料と真摯に向き合ってきた岡山地方史研究会であれば、歴史学研究会で取り上げたこの特集を皆で取り上げることで、「参加者一人ひとりが、過去と現在に対する問いを鍛えなおし、歴史的なものの見方を豊かにするきっかけにな」るのではないかと考えて立案してくれました。

また、わざわざ東京から、執筆者を含め10数名の方が参加してくださり、大変盛り上がった会になりました。評者となった、東野さん、松岡さん、大貫さん、沢山さん、ありがとうございました。また、参加してくださった皆さん、改めて御礼申し上げます。

最初に4人の評者からコメントをもらい、休憩をはさんだ後に、参加してくださった皆さんとこの特集を素材に、話し合いというか、意見の交換を行いました。

議論は多岐に亘りましたが、史料そのものをどのように読み込んでいくのか、その際、史料のバイアスをどのようにはいでいくのか。また、主体形成とは、いつまで続くのか。歴史資料Img_0222

をどのように提供していくのか。などなど。

執筆した方からは、歴史研究のパブリックな自分と、プライベートな自分とは不可分で、どこまで書くべきか悩んだことや、このような議論を行うことが、次のステップ(どのように主体として史料と向き合い、紹介していくか)につながっていく、等、文章には書かれていない苦労話も含めて貴重なお話を聞くことができました。

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今回の取り組みについては、近刊の『岡山地方史研究』において、紹介する予定ですので、お楽しみに。

例会後は、いつものように、岡山市内のお店で行った懇親会で盛り上がりました。

次回以降の例会は、報告者も含めて未定です。すでにご連絡をいただいている方が居られた場合は、申し訳ありませんが、内池まで再度ご一報いただきますようお願いします。

2013年6月例会報告

6月例会を、6月14日(土)13:30から開催しました。参加者は、13人でした。

今回は、現在、岡山県立博物館で行われている特別展「山田方谷」を、展覧会を企画した竹原伸之さんに、実際に展示品を目の前にしながら紹介していただきました。

同じ時間帯に展示解説をしていたため、どのような話し合いを行ったのかを詳しく聞けていませんが、山田方谷に関連する新出資料や、三島中洲や河井継之助ら門弟の資料など、多面的に山田方谷を見ることができたのではないかと思います。

いつもの例会とちがって、実際に資料を目の前にしていましたので、その場で適宜、質疑応答が行われ、参加してくださった方から積極的なお話が出たようです。
展覧会も6月29日(日)までとなっていますので、是非ごらんいただければと思います。

今回、久しぶりに岡山県立博物館を会場に行いましたが、今後も定期的に文化財と研究とをつなげるような例会を行えたらと思っています。

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次回は、7月5日(土)13時から、岡山大学文学部で例会を行います。詳細は掲示板に載せていますので、そちらをご確認ください。

懇親会については、事前に参加申し込みをしていただかないと、人数の関係で参加できないことがあります。スムーズな運営のために、ご協力のほど、よろしくお願いします。

『岡山地方史研究』132号の発刊について

『岡山地方史研究』132号が発刊されました。内容は、次の通りです。順次,会員の皆様には郵送されたのではないかと思いますが、購入を希望される方がおられましたら、内池までご連絡ください。

岡山地方史研究第132号 2014.5
論文 応仁・文明の乱後の荘園支配の様相-備中国新見荘を事例として-…渡邊太祐(1)
参加記
フォーラム・大規模自然災害に備える『災害に強い地域歴史文化をつくるために』に参加して…金谷芳寛(19)
参加記 就実大学吉備地方部下研究所二〇一三年度歴史シンポジウム
「古代地域史フェスタⅢ~歴史考古学の現在~」…加栗貴夫(22)
博物館・展示会めぐり 二〇一三年秋の特別展覧会を観覧して…辰田芳雄(28)
2013年度会系決算・監査報告…(32)
編集後記…(32)

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2013年5月例会報告

5月31日(土)13:30から、5月例会を行いました。参加者は12名でした。

報告してくださった順は、次の通りでした。
・史料紹介 大森文介の手習い手本 (倉地克直さん)
・近世豪農が残した「記録」の特質について(森元純一さん)
・「柏に鷹図」をめぐって(柳川真由美さん)

以前からお知らせしたように、今回は6年目を迎えた和気町 大國家資料調査の中間報告会で、『岡山地方史研究』127号以降の成果を3人の方がお話しくださいました。簡単にまとめると、以下の通りになります。

Dsc_0500倉地さんは、よくある手習い手本とは違い、大國家の手習い手本は、閑谷学校教授・有吉和介が書いた物で、「学校は何よりも礼儀が優先されるところです」等と礼儀や孝経素読を重視していることを読み取ることができると報告しました。

森元さんからは、大森文助が残した書付類から、文助のライフヒストリーが読み取れることは勿論、どうして文助が家系や家相などに興味を持ち、大切にしていたのかについて報告しました。
そして、文助の行動や記録はイエを軸にしていて、祖父・親・兄弟・世話になった人々への思い出と巡り合わせを、子ども達に言い伝えをしていたことも紹介してくれました。

柳川さんは、「柏に鷹図」(藤井高尚賛あり)と「とりの覚書」という絵画と書付の2点を取り上げ、江戸への訴訟の旅の中でであった様々な出来事をまとめた「とりの覚書」と、最後の場面でたまたま出会った「柏に鷹図」の購入とが、大森文助の心に吉事として残り、藤井高尚に賛を書いて貰うに至った経過等について報告しました。

Dsc_05013人からの報告の後、質疑応答を行いました。その中では、大國家の他の資料の残存状況、文助の家相や占いに対する想いをどのように評価するべきか等の感想や意見が出されました。

現在も資料調査は行われていますので、興味のある方は、和気町の森元さんまでご相談ください。

次回は、6月14日(土)13:30から、岡山県立博物館において特別展「山田方谷」の特別解説と、展示を担当している竹原伸之さんからの報告をしてもらいます。入館料が必要ですが、とりあえず13時以降に受付までお越しください。
また、7月5日の懇親会への参加希望の方は、内池までご連絡ください。当日、急なご参加はお断りすることがありますので、御了知ください。

2013年4月例会報告

4月19日に、木下浩さんによる「江戸末期の在村医の診療圏について」の報告がありました。参加者は、10人でした。Dsc_0200

文久年間に、岡山県南部の医者二名が作成した診療記録や処方記録を元に、二人の医者の診療圏域の様子や、医者の機能について考察をされました。同心円的に広がるものではなく、内容によって違いがあることが分かりました。

今回、報告してくださった内容については、近日、刊行されるとのことですので、詳細はそちらを御覧いただければと思います。

次回は、5月31日です。詳細は、掲示板に載せておりますので、御確認ください。

2014年3月例会

本日、3月例会を行いました。報告は、魚屋翔平さんで、「大内義長当主期における陶晴賢権力の性格と大内氏の権力構造」と題したものでした。

今年度末に、岡山大学大学院に提出した修士論文の要旨をお話しいただいたもので、いずれ文章化されるであろうと思います。

天文20(1551)年に起きた大内氏内部での陶晴賢による反乱後、大内氏当主となった大内義長と陶晴賢とがどのような権力構造を組んでいたのかを、70通以上にも渡る一次史料の収集・分析を行い、明確なものにされていました。

弘治3(1557)年には大内氏が滅んでしまうため、あまりこれまでの研究がなされていない時期ですが、どのような権力構造が毛利氏が中国地方を押さえていく前に成立していたのかがわかる興味深いご研究でした。

来月は、4月19日に例会を行います。内容については、掲示板に出していますので、ご確認ください。Dsc_1011

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2014年2月例会報告

本日、2月例会を行いました。報告は、森脇崇文さんで、「永禄末~天正初期の備作地域と織田・毛利氏」という内容でした。

もともとは10年前に研究していた内容を、これまでの成果を盛り込みながら、戦国大名の毛利氏と織田氏の戦いの場と化した備作地域の状況を考察した結果を報告してくれました。

いくつかの段階にわけて、当寺の様子を再現・考察していくことにより、毛利氏と織田氏だけではなく、宇喜多氏やその他の有力国人たちがどのように動いていったのかを分かりやすくお話いただきました。

質疑応答では、史料の解釈や当寺の国人領主の可能性、寺院勢力と宇喜多氏との関係など、興味深い話が多く、17時まで目一杯盛り上がりました。当日は、徳島県や兵庫県、遠くは石川県からの参加者がありました。ありがとうございました。

なお、今回の報告内容を文章化されるということですので、参加していない方へのレジュメの配付は行いません。ご了承ください。

次回は、現在調整中です。決まりましたら、ご案内いたしますので、しばらくお待ちください。Dscn5280

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