2018年5月例会報告

 519()5月例会を行いました(参加者:10)。大阪大学大学院の綱澤広貴さんが「近世後期津山松平藩における村方支配機構と下級役人」と題して報告してくださいました。

 綱澤さんは、津山藩松平家を事例として藩の行政機構に属する役人のうち、士格ではない大役人及び小役人と足軽等の奉公人を下級役人と定義します。その上で先行研究を踏まえ、大庄屋の存在する地域での下級役人の機能や権限を検討することで、近世領主支配の特質の解明と大庄屋を介した支配の相対化を目指しました。


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 報告では、史料として藩政日記、勤書、御定書を用い、特に郡代所役人について検討がなされました。その中でも奉公人層で構成される下代に注目しておられました。下代は、奉公期間が長期に渡りかつ世襲であったこと、在村し地域社会の様相を認識しやすい立場にあったこと等から、郡代所において果たす役割が次第に大きくなりその権限も増大していったことを明らかにされました。そして、近世領主支配が大庄屋にとどまらず、広く地域社会へ依存していたことを指摘されました。


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報告後の討論では、様々な論点が挙げられました。下代は自立性を持った集団と言えるのか否か、下代の世襲の実態、郡代所と大庄屋を同次元で扱うことの是非、報告内容の藩政史における位置付けはどのようなものか、松平家の御家門という家格との関係性等といった意見が、参加者の側から提示されました。

報告していただいた綱澤さん,ありがとうございました。(小野)

 

次回の6月例会は下記の要領で行います。ふるってご参加ください。

6月例会

 日時:630() 13:30

 場所:岡山大学総合研究棟2階演習室(5)

 報告者:三宅正浩さん

題目:「八月十五日付池田輝政書状をめぐって―天正十八年、池田輝政の三河吉田入部―」

2018年4月例会報告

4月例会(参加者4人)
田中さんは、岡山東照宮祭礼の全体像を明らかにする構想で研究を進めらています。
正保2年(1647)の勧請から最後の慶応3年(1867)までの変遷を見ると大きく4期区分できるという。
今回はその第1期池田光政時代の報告でした。
まず、勧請した光政の想いを分析し、氏子町の設定と神輿渡御の道筋を確認されました。
行列については、流鏑馬と馬揃えの上覧から楽人が加わり、やがて軍装行列に変化したと述べられ、それらの意義を田中さんは「東照大権現に供奉する家臣や神職・楽人に、藩政への参画を自覚させるだけのものではなく、見物する家臣家族や領民達にむけて、政策遂行の強化な意志を視覚化するためのものであった」とされます。
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そしてその後は次第に簡略化・儀礼化が進んでいることを論証されました。
討論では、流鏑馬を中止した理由や、「行列儀礼化が政策遂行の訴求装置」とする意味などについて議論となりました。
実に密度濃い充実した月例会でしたけれども、参加者が少なくてもったいない気がいたしました。
田中さんは、この報告をもとに執筆にして公表する意欲をお持ちです。楽しみです。
さらに、第2期以降はどのように展開し、田中氏はそれをどのように評価し、説明されるのか、これまた楽しみです。(定兼)
なお、次回以降の例会は次の予定です。HPへ合わせて掲載の程よろしくお願いいたします。
5月例会
日時:5月19日(土) 13:30~
場所:岡山大学総合研究棟2階演習室(5)
報告者:綱澤広貴さん
題目:「近世後期津山松平藩における支配機構の構造と下級役人」
6月例会
日時:6月30日(土) 13:30~
場所:岡山大学総合研究棟2階演習室(5)
報告者:三宅正浩さん
題目:準備中

5月例会報告

513()5月例会を行いました(参加者:17)。今年度から岡山大学大学院社会文化科学研究科に進学された板谷真由さんと山田祐理子さんが、卒業論文を報告してくださいました。

板谷さんは「17世紀後半の新吉原と浅草田町」と題して報告されました。新吉原の周辺地域であった浅草田町をフィールドとして設定し、17世紀における遊女奉公の実態を分析されていました。そして、浅草田町にある遊女屋が新吉原へ遊女を転売していた事例から、新吉原に対しその周辺地域が遊女の供給地として機能していたのではないかと指摘されました。

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山田さんは「近世後期備中の用水組合と地域自治 ―都宇郡沢所組の事例から―」という題で報告されました。幕領(倉敷代官所)、藩領(岡山藩)、旗本領(戸川家)と支配者が入り組んだ備中国南部において、用水を管理するために成立した沢所組の実態と、嘉永
6年に起きた用水をめぐる争論について検討されていました。この沢所組の運営には、大庄屋や郡中惣代といった中間支配機構が介入せず、組を構成する村々の庄屋や名主によって行われていた点から、領を越えた地域社会の自治が見られることを明らかにされました。

報告後の質疑応答では、まず板谷さんの報告に対して、新吉原とその周辺に広がる地域の性格を把握する必要性があることや、売られる女性の意識はどうだったのかという遊女の主体性に関する問題等について意見が出されました。山田さんの報告については、沢所組を構成する村々の規模や、その自治の実態はどれほどであったのか、争論において自治が機能しなくなった場合の支配者側との関係性等について議論となりました。

前回の例会に引き続き、今回も多くの方が例会に参加してくださいました。今回の例会をとおして、研究史を整理し、史料を丁寧に読み込んだ上で様々な視点から解釈していくことの重要性を改めて認識しました。歴史学の研究に携わる者にとって当然のことではありますが、はたして自分にはそれができているか、反省しなければならないように思います。

報告をして下さったお二人の方,ありがとうございました。(小野)

6月例会は、下記の要領で開催いたします。ふるってご参加下さい。


○6月例会

日時:610日(土)13:30

場所:岡山大学総合研究棟2階演習室(5)

報告者:別府信吾さん

タイトル:「塚村嘉伝太編著『剥復録』と西山拙斎」

4月例会報告

4月例会を、415日(土)13:30から行い、14名の方が参加してくださいました。

 

原豊二さんが、「池田光政書写本について~和歌関連資料を中心に~」と題して報告されました。近年、池田光政が筆写した風葉和歌集が見つかりましたが、それ以外にも光政や綱政が筆写した和歌集があり、誰に見せてもらったのかや、どうしてそのような筆写をしたのかについて検討した事柄について話してもらいました。

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参加者からは、和歌集等についての情報のやりとりをどのようにしていたのか、なぜ何度も筆写したのか、藩主の文化活動とはどのようなものだったのか等の質問があり、活発な話し合いが行われました。

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忙しい中、報告してくださった原さん、ありがとうございました。

 

5月以降の例会は、下記の通りです。

5月例会

日時:513日(土)13:30

場所:岡山大学総合研究棟2階演習室(5)

報告者(1):板谷真由さん

タイトル(1):「17世紀後半の新吉原と浅草田町」

報告者(2):山田祐理子さん

タイトル(2):「近世後期備中の用水組合と地域自治ー都宇郡沢所組の事例からー」

※なお、当日18時から、鳥好野田屋町店で懇親会を行います。希望される方は、56日(土)までに上村和史さん(uemura05(アットマーク)gmail.com)までご連絡ください。

 

○6月例会

日時:610日(土)13:30

場所:岡山大学総合研究棟2階演習室(5)

報告者:別府信吾さん

タイトル:「塚村嘉伝太編著『剥復録』と西山拙斎」

4,5月例会のお知らせ

岡山地方史研究会の皆様

 4、5月例会を下記の要領で行います。ご参加下さいますよう、お願いいたします。

4月例会

日時:4月15日(土)13:30~

場所:岡山大学総合研究棟2階演習室(5)

題目:池田光政書写本について~和歌関連資料を中心に~

報告者:原 豊二さん(ノートルダム清心女子大学)

5月例会(日にちを替えております)

日時:513日(土)13:30

場所:岡山大学総合研究棟2階演習室(5)

報告者・題目: ○板谷真由さん「17世紀後半の新吉原と浅草田町」

         ○山田祐理子さん「近世後期備中の用水組合と地域自治ー都宇郡沢所組の事例からー」

その他:例会後に懇親会を行う予定です。こちらについては、後ほどお知らせいたします。

 

岡山地方史研究会

内池英樹

 

2017年1月例会報告

129()1月例会を行いました(参加者:6)。辰田芳雄さんが,「林原美術館蔵池田光政自筆・岡山県立博物館蔵池田綱政自筆「古文孝経和歌」について ―明応二年四月二日一条兼良十三回忌追善の勧進和歌の発見― 附録:文明十二年九月一日起日後土御門天皇主催着到和歌」と題して,報告をして下さいました。

報告では,まず一五世紀後半から一六世紀前半に流行した着到和歌の概要について,お話くださいました。この着到和歌の中で『孝経』を題として詠まれたものが一条家に伝わり,池田光政は,次女の輝子が一条家へ嫁いだことから詠古文孝経和歌を入手したのではないかと推測されていました。

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報告後の質疑応答は,大名が和歌を写す意味は何かという点を中心に進みました。池田家に限らず,近世には多くの大名が様々な和歌の抜き書きをしています。辰田さんは,それは公家文化への憧れにとどまらず,中世以来の朝廷を中心とした伝統を利用することが,大名による支配への権威付けに寄与するものではなかったかと述べられていました。また光政が和歌の中でも詠古文孝経和歌を写したことについては,儒学を推進した彼の政治行動を裏付けるという側面が考えられるのではないかとも述べられました。

辰田さん,ありがとうございました。(小野)

2016年9月例会報告

9月17日(土)13:30~、岡山大学総合研究棟2階演習室で、9月例会を行いました。参加者は、10名でした。
今回は、難波修さんが、「編著物の執筆者とその周辺-情報の伝播と方向性に関する一考察-」と題して報告してくださいました。
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発表していただいたレジュメにあった概要を元にすると、『吉備前鑑』(以下、『前鑑』)の成立過程における増補記事に着眼して、「俳諧」や井原西鶴作品の題材等を検討したところ、光政・綱政期の岡山城下における人間関係が大きく影響を与えていたということでした。
登場する人物が多岐に亘っており、お話しを追いかけていくことが大変な場面がもありましたが、『前鑑』という近世編纂物を詳細に分析することで、当時の岡山藩池田家の一側面を見ることができることが分かりました。
詳細については、今後、原稿化されると思いますので、そちらを楽しみにお待ちください。
難波さん、ありがとうございました。
次回以降の例会については、後日ご紹介したいと思います。今しばらくお待ちください。
 

2016年7月例会報告

 7月2日(土)、7月例会を行いました(参加者:9名)。大阪大学大学院の古林小百合さんが、「豪農による地誌出版の経緯とその受容―備中国川上郡平川村平川金兵衛による地誌『備中府志』の出版活動を事例として―」と題して、報告をして下さいました。

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 『備中府志』は、平川村の庄屋を務めた平川金兵衛が備中国の古城跡について著した地誌です。報告では、先行研究の成果を踏まえながら、平川金兵衛が大坂の書肆毛馬屋から『備中府志』を自費出版した経緯について、主に平川金兵衛と毛馬屋との書状等から詳しく分析されていました。

 参加者からは、出版された『備中府志』の受容層は由緒を持つような上層農民に限られたのではないか、自費出版の場合、版木の所有権は著者と書肆のどちらにあるのか、『備中府志』を出版した毛馬屋の性格などについて、意見が出ました。また報告では、『備中府志』は武士層にも読まれていたことが指摘されていましたが、史料解釈を通して、その武士は備中国出身あるいは何らかの関わりを持つ者であったのではないかといった意見も出ました。
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 個人的には不勉強な部分が多く、終始参加者による議論の傾聴でした。今回の報告を通して、庄屋クラスの上層農民が地域の過去に目を向けてその成果を地域へ還元した点に、近世の人々が持っていた地域意識の一端を感じることができたと思います。(小野)

2016年4月例会報告

4月24日(日)午後、4月例会を行いました(参加者:8名)。
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今回は、島村豊さんが「宇喜多直家による島村豊後守入道観阿彌の「仇討談」について」について報告されました。
戦国期、宇喜多直家による島村氏への仇討ちについて、近世編纂物や一次史料を収集、整理して、検討した内容でした。

国人領主島村氏については、史料が少ないのですが、岡山県内はもちろんですが、中国・九州地方まで史料探索をされたことを元に、お話しいただきました。

参加者からは、近世編纂物の利用に関する可能性と課題、国人領主島村氏自体の評価をどうして考えたら良いのか等、建設的な話し合いで盛り上がりました。
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報告してくださった島村さん、参加してくださった皆さん、ありがとうございました。

次回は、5月14日(土)に『幕藩政アーカイブズの総合的研究』の合評会を行います。詳細については、会の掲示板に載せておりますので、そちらをご覧ください。

なお、今年9月をもって、現在使用しているホームページのサーバーが使えなくなることから、下記のアドレスへと変更しました。ブックマークされているURLの変更をお願いします。

http://www.geocities.jp/okayama_chihoshi/

2015年10月例会報告

1017日(土)午後、10月例会を行いました(参加者13名)。

報告者は、岡山大学大学院の上村和史さんで「岡山藩議院の設立と議院における議論」というテーマで報告して下さいました。

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岡山藩議院とは、明治2年から4年まであった岡山藩の議事機関で、士族が議員となる上院と、百姓・町人が議員となる下院に分かれていました。さらに下院は、各郡・各町村にも議院が置かれ、本報告では邑久郡の議院の議頭を務めた野崎万三郎の残した史料から、その詳しい実態を明らかにされました。




とくに、郡議院の議者(各村の代表)が与えられた議題に対して意見を述べた書面がまとまって残されているのは興味深く、本報告では堕胎圧殺の防止に関する議題を採り上げて、その議論の経過を分析されました。藩議院を、近世の村役人集会の仕組みを継承しつつ、さらに近代の府県会へと展開してゆくものと位置づけ、それを一時の仇花ではなく、幕末維新期における地域レベルでの公議公論世界の形成をみてゆく格好の事例としてとらえるという視点は共感でき、議論もとても活発に交わされました。(文責:山下洋)

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