2015年12月例会報告

 今回の例会では、倉敷市総務課歴史資料整備室の立石智章さんが「備中岡田藩主の領内巡見とその特質 ―代替りの巡見を中心に―」というテーマで報告されました。

 備中国下道郡および美濃、河内、摂津に領地を有した一万石程度の外様小藩である岡田藩主伊東家による領内巡見について、岡田藩の記録や大庄屋の日記を手掛かりに丁寧な分析をなされていました。

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 報告では、下道郡内の飛地であり他領を通行しなければならない水内(みのち)への巡見を中心に検討が加えられていました。その中で、近村への巡見よりも多くの費用をかけて参勤交代に近い規模の行列を整えたことや、巡見の際に村々が藩主を「馳走」することを名誉として認識していたことを指摘されました。

 

報告後の議論では、多岐にわたる論点が出されました。村役人による「馳走」が村内部における社会秩序の再確認と成り得たことや、他領と接する村の境目を確定することがあったことから、巡見は村にとって名誉以上の意味を有していたのではないか、という村の側からの視点が示されました。また、小藩であるがゆえに領民との関係維持のためには岡田藩自身が巡見を必要としたのではないかという意見もありました。その他、入封時の巡見との関係を問う意見や、他藩の事例紹介もあり、とても活発な議論となりました。

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今回の例会報告は、小野功裕さんが書いてくれました。ありがとうございました。

2015年10月例会報告

1017日(土)午後、10月例会を行いました(参加者13名)。

報告者は、岡山大学大学院の上村和史さんで「岡山藩議院の設立と議院における議論」というテーマで報告して下さいました。

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岡山藩議院とは、明治2年から4年まであった岡山藩の議事機関で、士族が議員となる上院と、百姓・町人が議員となる下院に分かれていました。さらに下院は、各郡・各町村にも議院が置かれ、本報告では邑久郡の議院の議頭を務めた野崎万三郎の残した史料から、その詳しい実態を明らかにされました。




とくに、郡議院の議者(各村の代表)が与えられた議題に対して意見を述べた書面がまとまって残されているのは興味深く、本報告では堕胎圧殺の防止に関する議題を採り上げて、その議論の経過を分析されました。藩議院を、近世の村役人集会の仕組みを継承しつつ、さらに近代の府県会へと展開してゆくものと位置づけ、それを一時の仇花ではなく、幕末維新期における地域レベルでの公議公論世界の形成をみてゆく格好の事例としてとらえるという視点は共感でき、議論もとても活発に交わされました。(文責:山下洋)

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2015年9月例会報告

9月26日(土)午後、岡山地方史研究会9月例会を行いました(参加者8名)。

報告者は、永山愛さん(大阪大学大学院文学研究科前期博士課程)でした。

題目は「建武政権末期における『将軍家』の移動と諸軍勢 -新見貞直への新見荘地頭職返給の位置-」でした。

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後醍醐天皇の建武政権末期、建武2年(1335)7月に鎌倉で起こった「中先代の乱」鎮定に向かった足利尊氏は、そのまま建武政権に反旗をひるがえし、畿内での合戦を経ていったん九州へ向かい、ふたたび京都に戻ってきます。

足利尊氏はその移動のさなかに活発な軍事編成を行っているのですが、従来の研究ではそうした軍事編成の分析は「いかに室町幕府~守護体制ができるか」という制度研究に終始しており、実態が不明であると指摘されました。

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今回の報告は、「新見庄地頭職」返給を目的として尊氏軍に参加したとみられる新見貞直を手がかりに、武士の戦争参加プロセスの実態把握をめざすものでした。結論に関する見通しについてはここで紹介しませんが、多くの史料を用いて様々な武士の動きを確かめながら、古文書学にも留意しつつ細かい論証を重ねられていました。

会場からは、本報告で述べられた軍事編成と武士の戦争参加プロセスについて、時期的な変化はどうか、実態把握の上にどんな時代像が描けるのかなど、活発に意見交換がなされました。

 

 

7月例会報告(「書物・出版と社会変容」研究会との合同例会)

7月4日午後、岡山県立博物館講堂を会場に、岡山地方史研究会7月例会を開催しました。参加者は、約60名でした。
今回は、「書物・出版と社会変容」研究会(書物研)との合同例会で、いつもと内容をかえ、4名の方に報告をしていただきました。
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(報告者・タイトル)
横山定さん「備中松山藩校有終館蔵書」
竹原伸之さん「旧閑谷学校蔵書」
近藤萌美さん「幕末維新期における備前岡山藩国学者小山敬容の祭祀観
          -読書・写本・書物の入手の実態から-」
木下浩さん「江戸末期在村医の蔵書について」

前半のお二人は、備中松山藩と岡山藩の学校の蔵書について、蔵書印やそれぞれの書籍の内容等について報告していただきました。
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後半のお二人には、それぞれ国学者・在村医という仕事を営んでいた人が、どのような蔵書を有していたのか、そこからどのような知を得たり、周辺の人と共有していたのかなどについて話をしてもらいました。

四つの報告をまとめて紹介することは、このホームページでは難しいのですが、いずれの報告も、岡山をフィールドにしたものでしたので、県内の参加者はもちろんですが、県外から参加された方へ岡山の地域史研究から得られた知見をお伝えする機会になったように思いました。

質疑応答の時間には、県外から参加された方を中心にご質問をうけたり、県外の情報提供をいただくようにしました。東北や鳥取などの情報をお聞きすることができたことも、合同例会を開催してよかったと思っているところです。
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例会終了後は、岡山市内で懇親会を行いました。41名の方が集まってくださり、大変盛り上がった中で終了することができました。
このような機会をいただいた書物研の皆様、ありがとうございました。
また、お忙しい中ご報告いただいた4名の皆様にも感謝いたします。お世話になりました。

8月は例会はありません。9月以降の例会については、後日改めてお知らせいたします。

2015年6月例会報告

6月13日(土)午後、岡山地方史研究会6月例会を行いました(参加者8名)。

 報告者は、この春に岡山大学文学部を卒業した小野功裕さんで、卒業論文の「歩兵第十連隊戦史―滕県城攻撃から見た兵士達の戦場―」の内容を報告して下さいました。

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 歩兵第十連隊とは、大正14年(1925)から岡山(現在の岡山大学の敷地)に駐屯し、岡山県全体を徴兵区域とした「郷土部隊」でした。報告では、その部隊が昭和12年(1937)8月に日中戦争に出征後、翌年3月に実施した山東省の滕県城攻略戦の実態を「戦闘詳報」という史料や現地の郷土史家による研究をもとに明らかにされました。特に、捕虜や民間人を殺害するという戦争犯罪にあたる行為がどれほどあったのかという点を中心に、丹念な史料分析がなされていました。

 報告者は、現在、多くの日本人は「戦争」と言えば昭和16年以降の対米戦争のことをイメージし、日中戦争については非常に希薄なイメージしか持っておらず、したがってそこでの侵略や加害の歴史についても切実な認識を持ちえていないという点をきびしく指摘されました。

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 まずは、そこで何があったのかということを明らかにし、それを社会の共通認識としてゆくことは歴史学の大きな務めであるにちがいありません。
(文責:山下 洋)

2015年5月例会報告

5月23日(土)午後、岡山地方史研究会5月例会を行いました(参加者9名)。

報告者は、斎藤夏来さん(岡山大学教育学部)と卒業生の谷舗昌吾さんでした。題目は、「栄西認識の変遷ー栄西呼称をとおしてー」でした。

まず、斎藤さんの方から栄西の実態を見つめていくためには、栄西と禅律仏教と、五山派との接続関係、異同の明確化を計っていく必要があるという説明がありました。その後、谷舗さんから『大日本史料』『五山文学新集』を中心とした史料収集、分析結果の報告がありました。Dsc_0469

今後、会誌に載せる方向でさらに研究を進められるということですので、簡単にまとめると、「葉上」「千光」等の呼称が使われるが、それらにはそれぞれ背景や意図があり、時期区分や掲載されている史料の特性を明らかにすることができるというものでした。
中世と近世とでは、「千光」の後ろに付けられる肩書きも変わっていくことも明らかになってきているということについても、説明がありました。
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その後の質疑応答では、変化していく背景にある社会的必要性はなんだったのか、栄西以外の新鎌倉仏教の始祖はどうだったのか、また使用した史料以外には対象となるものはないのか、等について質問が出ました。

谷舗さんは卒業後、働きながら研究を続けていきたいということを話してくださいました。谷舗さんと、斎藤さんの熱意あふれる発表で、質疑応答も盛り上がったと思います。お二人、ありがとうございました。

6月例会は下記の要領で行います。お忙しいとは思いますが、ふるってご参加ください。また、7月例会は7月4日に行います。終了後、懇親会を行います。懇親会に参加を希望される方は、内池までご一報ください。スムーズな例会運営にご協力いただきますよう、よろしくお願いします。

(6月例会)
    日時:平成27年6月13日(土) 13:30~
    場所:岡山大学総合研究棟二階演習室(5)
    報告者:
   
    小野功裕さん
    題目:「歩兵第十連隊戦史 滕県城攻撃から見た兵士達の戦場
      

4月例会について

4月18日(土)13時半から、岡山県立博物館講堂にて、同館学芸員の佐藤寛介さんに報告をしてもらいました。タイトルは、「重要文化財 色々威甲冑の新発見と地域史研究」でした(参加者:9名)。

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重要文化財に指定されている色々威甲冑(瀬戸内市 豊原北島神社蔵)の修復にあたり、兜や甲冑に関する詳細な調査を行った結果報告や、豊原北島神社に関連する由来等の文献資料を分析することを通して、地域史にどのように位置づけていけるのかについて話をしてもらいました。

参加者からは、文化財が歴史資料としての位置づけができることや、甲冑の製作地と考えられる大和と当時の邑久郡がどのようなつながりがあったのかなど、文献だけでは明らかにできないことをさぐること等について感想や意見が寄せられました。
佐藤さん、興味深い報告をありがとうございました。
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今回の報告は、昨年度末に刊行された『研究報告』第35号に掲載されているので、そちらもご覧ください。
また、色々威甲冑は、4月22日~5月31日まで岡山県立博物館で展示をしますので、お楽しみに。

5月例会は、5月23日 (土) 13:30から、岡山大学総合研究棟2階 演習室(5)で行います。
報告者は、斎藤夏来さん(岡山大学教育学部)、谷鋪昌吾さん(岡山県職員)で、「栄西認識の変遷と「純粋禅」再考 」です。ご参加、お待ちしています。

2015年3月例会報告

本日、3月例会を行いました。参加者は、10名でした。

報告は、小野博さんで、地域の観光や学習を歴史的観念から盛り上げる提案として、歴史地図をデジタル化したものの利活用の実態や、デジタル画像の商品化などでした。
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写真のように、各地にある文化財を高精細なデジタル画像として撮影し、その画像にGPSデータをつけたり、webへのリンクを設定するなどの方法で、より便利に活用できるような工夫の事例を紹介してもらいました。




参加者からは、地域興しの具体的なイメージや費用のこと、歴史的な取り組みへのさらなる利活用の有効性について話が出ました。
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忙しい中、事例紹介をしてくれた小野さん、ありがとうございました。

次回は、418日(土)13時半から、佐藤寛介さんが「重要文化財 色々威甲冑の新発見と地域史研究」と題して、色々威甲冑の文化財としての評価とあわせて、伝来に関する資料について再検討した結果明らかになったことについて報告してくれます。

場所は、岡山県立博物館講堂です。当日は、1320分までに県立博物館1階エントランスにお越しください。入館の必要はありません。ただし、自家用車で来られる方は別途駐車場代が必要になります。

2月例会について

2月21日午後に、2月例会を行いました。13名が参加してくださいました。

報告者 武冨真人さん(岡山大学大学院)による、「毛利家における毛利隆元の役割」と題したものでした。
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萩藩閥閲録に収録されている文書を中心に、毛利元就と隆元の関係を分析し、隆元の当主としての自立性を明らかにしようとしたものでした。知行宛行状や国人領主とのやりとりなどを分析した興味深い報告となりました。

参加者からは、武冨さんが「権限」としたものが、具体的にどのように設定しているのか、隆元の自立性を明らかにするためにも、知行宛行状等の時間的・空間的な分析が有効ではないか等の意見や感想が寄せられました。

これまでの分析を、さらに深化してしていきたいという抱負も述べられる、前向きな会となりました。
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仕事をしながら、地道な研究をまとめてくださった武冨さん、ありがとうございました。

3月以降の例会は、下記のとおりです。ふるってご参加ください。

○3月例会

日時:3月14日(土)13:30~

場所:岡山大学総合研究棟二階 演習室5

報告者:小野博さん((株)コンテンツ)
内容:地域の観光や学習を歴史的観念から盛り上げる提案 ①歴史地図を使用して  ②丹後ちりめんと漫画

○4~6月例会

現在調整中です。決まりましたらご案内いたします。

○7月例会

日時:7月4日(土)13時~

場所:岡山市内会場(現在調整中)

内容:「書物・出版と社会変容」研究会との合同例会
   
詳細については、後日お知らせします。

2015年1月例会

岡山地方史研究 1月例会参加記

先日、1月例会が岡山県立博物館において行われました。当日参加してくださった、森脇崇文さんが参加記を書いてくださいました。 ありがとうございました。写真は、今回は撮るのを忘れていました。すみません。

今年度最初の例会は、岡山県立博物館学芸課の内池英樹氏より、同館で開催中の企画展「戦国大名 宇喜多氏と長宗我部氏」についての解説と見学会がおこなわれた。

本展覧会の目玉と言える資料は、やはり昨年に情報が公開され大きな反響を呼んだ、林原美術館所蔵の石谷家文書だろう。今回の報告でも、同文書についての内容が大きな比重を占めていた。

私が特に興味をひかれたのはパネル展示されている天正6年11月24日付の谷忠澄・中島重房書状である。長宗我部氏の重臣両名が記したこの書状では、信長政権との交渉内容や今後の四国経略の展望などが詳細に述べられている。阿波三好氏が衰退し、長宗我部氏が覇権を握っていく端境期に当たるこの時期の四国情勢は、一次史料から論証できる部分が少なく、必然的に各事象や勢力図の評価には研究者の間で大きなズレが生じている。この書状は、そのズレを補正し、さらには毛利氏・織田氏といった外部勢力と四国とを繋ぎ合わせる重要なピースとなるものだろう。

この書状をはじめ石谷家文書の多くは、これまで二次史料などからおぼろげな輪郭のみが知られていた歴史事象に、確たる徴証を与えつつ他の歴史事象との関連を示唆する内容を含んでいる。「本能寺の変の真相」という報道に覆い隠されている面があるが、今後の戦国史研究におけるこの文書群の重要性はそれだけに留まるまい。今年前半に刊行される資料集が今から待ち遠しい。

石谷家文書以外にも、本展覧会では貴重な資料が多く展示されている。紙幅の都合から一点だけの紹介に絞るが、直家の弟である宇喜多忠家画像は同館所蔵ながらなかなか目にする機会がない貴重な資料である。報告者の内池氏が紹介したように、直家の弟である忠家は、兄の死去から甥の秀家が成長するまで、宇喜多氏を支える役割を担っていた。直家・秀家の陰に隠れることが多い忠家だが、その重要性をフォローし、展示の流れに位置づけようとする姿勢には感銘をおぼえた。

今回の例会では、報告を踏まえた上で資料を実見し、さらに質疑時間も設けられたことで、展覧会の資料はもちろんのこと、その趣旨に至るまで理解を深めることができた。こうした機会を調整していただいた報告者に謝意を表するとともに、今後もこうした「展示担当者をまじえた施設見学」という形式の例会が企画されることを期待したい。
(執筆:森脇崇文)

○2月例会
日時:2月21日(土)13:30~

場所:岡山大学総合研究棟二階 演習室5

報告者:武冨真人さん(岡山大学大学院)

内容:「毛利家における毛利隆元の役割」

○3月例会
日時:3月14日(土)13:30~

場所:岡山大学総合研究棟二階 演習室5

報告者:小野博さん((株)コンテンツ)
内容:地域の観光や学習を歴史的観念から盛り上げる提案
①歴史地図を使用して  ②丹後ちりめんと漫画